【嶋田】ニューヨーク派遣を決意した想いを聞かせて下さい。

【溝浦】長崎出身で、小さい頃から語り部さんのお話や戦跡に触れ、被爆者を身近に感じてきました。しかし、「生活史」としての被爆者体験に触れなくて、被曝後どうやって生きてきたかあまり知らずにいました。広島で行われたSW交流集会で、60数年たって初めて被曝体験を語るという方のお話を聞きました。ひどいケロイドがあるのに原爆症申請は却下されていると聞き、信じられない気がしました。何かできることがあればと思っていました。

【宮崎】親が熊本県天草市の出身で、長崎は近いんです。被爆直後の長崎で亡くなった方を身内の人たちが自分達の手で、お棺に入れて焼くと、遺体が一旦お棺から起き上がる、それを見て、自分が家族を焼き殺したのではないかと、戦後ずっと悩んでいた方がいたそうです。

原爆はそんな風に人の心にずっと傷を残していくんだな・・・と思っていました。溝浦さんに誘われたことと、そもそも病院の方から声を掛けられていたこともありますけど(笑)。  

【嶋田】印象に残った経験は?

【宮崎】アメリカで平和活動をしているグループと出会いました。彼らが「日本人に謝ろう」と言って、謝罪する姿に驚きました。

【溝浦】被爆者たちの運動が、アメリカ人に届いているんだと、そう思いました。

【嶋田】声は世界に届いていると。他には?

【溝浦】署名活動にも取り組みました。アメリカには、「原爆は戦争を終わらせるために必要だった」と考える人は多く、言葉も通じないし大変でした。ローラスケ―トでスッと寄ってきて署名してくれる男の子や活動を知っている人もいてうれしかったです。若い人の反応は良かったですね。

【嶋田】「アンゼラスの鐘」上映会も高校生対象に取り組まれましたね。

【溝浦】映画の内容も、日常生活や身近な人たちが原爆によってどうなるかが描かれ自分自身と重ねやすくて良かったと思います。高校生達も、凄く集中して観てました。

【宮崎】「上映会」のように、能動的に取り組む企画が盛り込まれていてよかったと思います。

【嶋田】新たな発見や、考えが変わったりしたことがありますか?

【溝浦】帰国してNPT会議議長をはじめ各国の要人たちが私たちの運動に着目していた事を知りびっくりしました。

次の再検討会議までに、世界がどう変わるか楽しみです。核兵器廃絶が「使っちゃいけないもの」になってきている。その中で日本政府の態度には、本当に何やってんだて感じで・・もっと積極的に行動してくれたらと感じています。

【宮崎】改めて、「核」は怖いと思いました。行く前までは、原発について正直よくわかりませんでしたが、学習する中で、原子力という「パンドラの箱」を人類は開けてしまったんじゃないかと思うようになりました。劣化ウラ

ン弾の使用や汚染物質処理の問題もあります。「平和利用」と言われているけど、本当に可能なのだろうか、と思います。ソーシャルワーカは、職種としても社会改革を使命とする仕事です。人権を守ろうとすれば、その人の暮らす環

境自体を変革し、弊害をなくす必要があるからです。でも、何とか暮らしを立て直しても、一度戦争が起こったら元もこもない。医療者の場合は、自分の関わった誰かを思い浮かべて「その人の周りに戦争が起こったら」、「提供した医療行為の意味は」とか考えると、きっと考えやすいと思います。

【嶋田】今回は「スマイリーキャット」を持って行ったんですよね?

【溝浦・宮崎】カンパもいただき、猫もたくさん折っていただいてうれしかったです。色々な形で少しずつでも参加してもらえたことが、大切だと思っています。

【嶋田】今日は本当にありがとうございました。

       (県連事務局 嶋田雅恵)

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