4月2日、小西央彦医師(生協病院)と渡瀬看護師(生協病院)が第三次支援チームとして出発しました。小西医師からの報告を紹介します。
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無事、坂総合病院に着きました。東京集合人数は30人前後。看護師、事務が多数です。医師は3人でした。
坂総合病院は、ほぼ通常診療しており1日患者数も平時に戻りつつあるとのことです。支援組は主に地域訪問、避難所回りに当てられるようです。
今後、岩手や福島方面の支援を広げるとのこと、岩手には行政の主導で診療所を6ヵ所作り、民医連もその1つを担当するようです。

到着後、沿岸部まで視察にいきました。海沿いは千人規模の集落が壊滅、高台だとほぼ無傷の家が多かったです。写真は、倒壊した家です。まだまだ除去作業は十分できておらず、多賀城市内にも、重なった車や、一部壊れた店舗がそのまま残ってる状態でした。

 お疲れ様でした!

3月31日(木)20時50分、第二次支援チーム4名が無事帰任しました。自らも被災しながら頑張っている宮城の職員の力強さに驚いたそうです。全国からの連帯にも強い感動を受けたと語ってくれました。

宮城県に支援に入った石川看護師と坂本看護師から届いた報告要旨です。(3月30日付愛媛の支援ニュースから)

石川看護師(協立病院)
★時計の針が止まった不気味な静けさに町が被われていた。自衛隊のトラックが引っ切り無しに通りぬける。津波の後「怖くて怖くて未だに町に足を運べない」と老女の声。「まだ建物が残っているだけましなんだ」と中年男性。幼児を抱えた母親は、「私達は高台に家があったから難を免れたけど親の家は流れた」と辛い震えた声を聴く。一方、復活を願い頑張ろうとの貼り紙や、3月27日からオープンですと店の再開準備もみられる。夜間、坂病院は余震(震度4)で8階建物が大きく揺れた。

坂本看護師(たんぽぽ訪問看護ステーション)
★私が派遣された施設は、元々は老人福祉施設のようです。ショートステイやデイサービスを利用中に被災し家や家族を無くし、帰る所が無くなった人たちの福祉避難所になっています。職員は、ガスも通っていない中、駐車場で全員の炊き出し、昨日から施設内でデイサービスも再開、本当にタフです! 利用者さんの分は電気ポットや炊き出しのお湯を使って、なんとか清拭や洗髪、足浴などを行っていますが、ここに寝泊まりしている職員や支援者はずっと風呂も入っていません。(私も3日入っていません。)夏だったら行水する所ですが、こっちの寒さはハンパ無いです。夜は、みんなで会議室みたいな所に毛布を敷きつめて寝ているので、そんなに寒さは感じません。現場はバタバタしています。申し送りはなく、出来ることを探すことから始めました。やっていくうち、メチャクチャする事がいっぱいあって、どっぷり疲れています。でも、被災者の方や職員さん、他の県連の支援者さんにものすごいエネルギーをもらっています。あと2日、頑張ります。

3月25日に出発した第二次医療支援チームは、坂本看護師(たんぽぽ)、福井薬剤師(生協病院)、河野看護師(生協病院)、石川看護師(協立病院)の4名です。

3月26日16時に坂総合病院に到着。説明を受け、翌日からの勤務を確認した後、宮城野の里や泉病院などを拠点に避難所めぐりや入所者の支援にあたっています。

 3月20日朝、第1次チームの4名が愛媛に戻ってきました。23日には、新居浜協立病院で記者会見をおこないました。新聞テレビ各社が取材にきました。写真は地元愛媛新聞24日の記事にとりあげられたチーム4名。

 この記事では、谷本医師が「さまざまな事例に対応したきめ細かい対応が必要」とのべたこと、曽田看護師が「患者層の移り変わりが激しかった」と語ったことが報じられました。また、佐伯事務次長が「4歳の子どもを捜していた夫婦は、名前を見つけられず、最後は身元不明遺体はないかと聞いてきた」と語ったことが紹介さています。なお、記事には入っていませんが、松木さんは、「あまりに悲惨で、家族を探しに来られた方々と目を合わせることができなかった」と語ってくれました。(写真右から谷本医師、松木事務、曽田看護師、佐伯事務次長)

宮城県塩竈に入っている愛媛民医連の谷本医師から、17日の午後5時に電話で報告がありました。

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受診者や救急搬入者のトリアージ及び継承から中等症の患者の対応をしてきた。病棟機能は保たれてきているので、特に混乱はない。

外傷は片付け中の転落や避難所での転倒が主体である。

心不全、脳卒中など通常の救急対応が主体だが、帰宅困難者も多い。ウォークインの患者はインフルエンザか小児の嘔吐下痢、脱水など。慢性疾患増悪や避難所生活による便秘、不眠、急性ストレス反応が増えてきている印象がある。

3月17日、ようやく地域訪問に出る。観光で有名な松島の民医連の診療所は1階が水没。亡くなられた職員もいる。避難所5カ所を回り情報収集、診療、処方切れの対応などをした。

ライフラインが復活すれば帰れる人がいる一方で、津波による全壊で帰れない人もいる。不眠か不安がある。傾聴しかできずもどかしいが、明日もう一度同地を訪問する。

宮城県塩竈市(しおがま)に行っている支援チームの佐伯さんからのメールです。
17日朝「冷え込んでいます。このあと、谷本先生は松島方面へ避難所回り。曽田、松木は夜勤明け、可能であればガソリン探しと黄色ブース様子の記録。佐伯はトリアージブースです。」
第1次医療支援チームの日程もあとわずか。第1次チームの帰路経路や、第2次チームのこと、医療材料、資材準備等々課題が山積です。県連では、本日18時から、地震支援対策本部会議を新居浜-松山テレビ会議で開催します。
※地図の下の赤いマークAは坂総合病院 (画像をクリックで大きくなります)

宮城県塩竈(しおがま)の坂総合病院にいる愛媛支援チーム佐伯さん(新居浜協立病院事務次長)から届いたメールです。
16日朝「佐伯以外の人は夜勤でした。
朝、全員と会いました。特に変わりません昨夜は何回か少し揺れました。こちらは雪です。」
16日昼「横殴りの雪。支援医師が不足模様。病院の救急体制の確保の為に、避難所回りが手薄に。安否確認の問合せを受けるが、多くは良い返事できず」
16日夕「天気は横殴りの雪で多少積もっています。今日の患者状況は、発熱、小児の割合が多いように感じました。谷本先生は午後から正面玄関前で寒い中トリアージをしました。」
17日朝「冷え込んでいます。このあと、谷本先生は松島方面へ避難所回り。曽田、松木は夜勤明け、可能であればガソリン探しと黄色ブース様子を記録。佐伯はトリアージブースです。」
写真は坂総合病院

愛媛民医連の東北関東大震災支援チームは14日の16時半に、宮城県塩竃市(しおがま:仙台の北東)の坂総合病院に到着したとのメールあり。15日昼には、「各職で分散してあたっています。事務は正面口でトリアージ支援。12時間シフト。谷本先生は午前待機、午後休み、夜勤です。曽田看護師は、日中休み、夜勤で、トリアージ黄色の予定。」とのメール。同日午後5時、初めて電話で連絡。「午後5時現在、全国から202名の医療班が支援に。外来でのトリアージに奔走している。谷本医師はこれから外来対応につく」 とのこと。

3月11日に発生した東北関東大震災の関係で、翌12日、第9回整形外科懇話会は中止が決定されました。全日本民医連から各県連・事業所あてに連絡が行われました。

参加を予定されていた皆様には、宜しくご対応をお願いいたします。

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